いじめや体罰により自殺する若い方が後を断たない。
私が中学のとき、このように「自殺をする人」のことを真剣に仲の良い4人で話合った。
「いじめぐらいで自殺するか」
「我慢するだろ?」
4人のうち3人はそういう考えであった。
当時はそんな意見がフワフワ(やる方も悪いがやられる方も原因があるのでは?)と世間を漂っていたような気がする。
でも、ある一人は
「本当に死のうと思ったことの無い人間が、自殺する人が悪いと簡単に言うことはあってはならない!」と熱く発言した。
確かに。
とは言え・・・と話し合いは夜中まで続いたことを思い出した。
そのきっかけや、経緯、行為の程度は当事者同士にしか判らないのだから安易に片方を攻めることは出来ないだろう。
さて。
今回の運動部の体罰による自殺問題。
私が高校入試の際、あることをきっかけに進路を真剣に考えてたことを思い出した。
私は中学時代水泳でジュニアオリンピックで常に入賞(4位~6位)するレベルの選手でした(3位以内は入れない選手でもあった)。
もちろん高校入試の際には多くの推薦入学の誘いを受け、実際にその形で入学する考えであった。
そんな中、幸か不幸か水泳コーチにビンタをされ鼓膜を破いてしまい、数ヶ月間水泳をすることが出来ない状況になった。
もともと水泳は嫌いで、練習も嫌い。
辞める理由を探しても、成績も良いし、高校もいけるし。
そんな安易な気持ちだったのでこれを理由に「水泳をやめよう!」って決めた。
子供ながらに凄い決断を迫られたことを覚えている。
全てを失い、0からのスタート。
両親は「もったいない」と言ったが、
こんなことも付け加えてくれた。
「もし水泳で高校に入学し、途中退部などしたら高校にいることは出来ないかもね」と。
その言葉がとても怖かった。
私の経験はこれくらいとして、私が今回の事件で感じていることは
「一芸入試?運動推薦?で入学した生徒がその能力を失ったときのフォロー体勢を万全にすることが必要なのではないか」と。
今回の被害者はどのような状況か判らないが、キャプテンである被害者が、退部をした場合の自分自身、家族、仲間の反応を想像したとき、本人しか判らない想像を絶する辛さというか、プレッシャーがあったのではないだろうか。
私はこんな言葉を思い出した。
「相手を攻める場合、必ず一つ逃げ道は作ること。
これをしないと相手との関係はもとより、全てを失うことになる」
運動推薦等で学生を受け入れたなら、その能力を引き出すことに全力を挙げると同時に、何か別の事態が生じた時にはそれを受け入れるシステムが必要なのではないか。
コメントをお書きください
central1-2-3 (木曜日, 10 1月 2013 12:05)
今、パソコン画面がYAHOOトップページになってびっくりした。
顧問が被害者が亡くなる前日に、平手で30~40発叩いたとのこと・・・。
叩いた理由は「奮起させるため」。
この報道が「事実」であれば「体罰」とは掛け離れていますね。